10月2日、西芳寺を訪れた。現在は一般の拝観を中止し、事前の申し込み制になっており、庭へ入る前には、本堂で写経など宗教行事に参加することになっている。

写経を済ませ、庭に入ると、一面緑の世界が広がっており、苔寺に居ることを実感した。時期やその時々で表情を変える苔は、天気がよかったこともあり少し乾燥した様子で淡いうす緑色をしていた。また、所々茶色をしていた。やはり梅雨の頃が一番美しいようである。



西芳寺は暦応2年(1339)、奈良時代の創建と伝える西方寺に日本庭園の祖といわれる夢窓疎石(むそうそせき)が入山して復興し、浄土宗を禅宗に改めた寺院である。このとき、寺号も西芳寺とした。庭園は、夢窓疎石がそれまでの池泉を改修したものである。

枯山水を中心とした上段の庭園と、黄金池を中心とした下段の庭園に分けられる。疎石の復興当初、西芳寺はすでに天下の名園としてその名をとどろかせていた。

しかしながら、応仁元年(1469)の応仁の乱によりほとんどの建物は焼失し、江戸時代には2度にわたって洪水にも見舞われて荒廃した。庭園が苔でおおわれるのは江戸時代末期に入ってからのようであるが、定かではなく、誰がいつから西芳寺を苔寺と呼ぶようになったかも誰も知らないという。


庭を一時間かけてゆっくりと歩いた。
まず、下段の庭は100種類以上もの苔に埋め尽くされており、池には朝日島、夕日島、霧島と呼ぶ3つの島があり、どちらを見てもすべてが異なる表情を見せていた。どこまでも広がっている庭の世界にどっぷりと浸るような気分であった。

また、上段の庭では、見事な石組を見ることができ、写真を見て感じていたものとは違い、その迫力に圧倒された。なかでも、日本最古の枯山水の石組はあたかもそこに水が流れているかのような力強さを感じた。


ある年配の女性が、庭の苔をみて、「気持ちええわぁ」と口にした、その言葉に私も共感を覚え、庭に“癒される”という効果があるのだと実感した。

では、なぜ私たちは庭に癒されるのか?それは日本庭園=日本人の心であるからではないか。日本人の心には、自然を愛する心・崇拝する心があるからであろう。古来の人々は自然とともに生活を営んでいた。どこまでも広がる海、美しい山の姿、猛々しい岩に情憬あるいは畏怖の念を抱き、時には神として信仰、崇拝した。巨石を神の依代とした磐座・磐境、海と見立てた池に、海神を祀る島を築いた神池・神島、これらはともに日本庭園の(石組の)源流といわれている。自然に対するこのような心が現代の日本人にも潜在的にあり、庭園の発展もそのような根源的な性向から成る。それゆえに、私たちは感動するのだろう。

西芳寺庭園案内パンフレットより

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