日本庭園は非常に古く、ゆうに千有余年の歴史があります。その原点は「環状列石」「神池・神島」「磐座・磐境」等だと言われています。これらはどれも庭園とは呼べる物ではないですが、後にこれらが庭園へと発達したのではないかと言われています。

遺跡の時代には庭園という概念はなかったと考える方が自然ですから、これを庭としての石組とみるのには無理があります。しかしながらこの時代における環状列石や、また山の中腹などに露出している岩などを、信仰の対象として崇め奉った磐座(いわくら)などは、自然や神々に対しての信仰心から始まったものであり、このことから考察していくと、これらをさらに昇華させていったものが、現存している庭の石組へと変遷していくわけです。その変遷過程の中で重要な役割を果たしたのが、大陸から流入してきた文化、宗教、哲学などであり、これらの思想を背景とした意匠によって、『日本独自』の空間芸術としての庭園を造りだしていくのです。


環状列石(ストーンサークル)と言えばイギリスの巨石で出来た遺跡が有名ですが、日本で多く見られる環状列石は、今から4000年前の縄文時代後期に作られたもので、小さな石を数多く配置したものが多く、その配置の性質上、日時計であったのではと考えられていますが、考古学上での見解は未だに謎とされています。墓・結界・祭事場などと推測されていて、それらは、現在のアートにも通じる感覚をもっており、見る者の興味を沸き立たせてくれます。

また、このように規則的で、大規模な遺跡が作られた背景には、かなり大きな集団がこの周辺に住んでいたのではないかと考えられています。それを裏付けるように、環状列石の周辺からは多くの遺跡が出土し、住居跡、屋外炉、貯蔵穴等が検出されています。

 
野中堂環状列石の日時計状組石

万座環状列石の上空からの写真

 
大湯環状列石


日本庭園の意匠の背景や石組は、自然に対してのうやまいと同時に、宗教・思想などからくる、その時代に思い描いていた人間の理想郷を抽象的に表現したものです。石の使い方は日本独特のものがあり、天然の岩石を庭の材料として選び出し、加工せずに庭の要所に配置するもので、複数組み合わせて設置する場合は石組といいます。日本庭園では必ず使用される庭園技法の肝ですが、海外では天然石を加工せずにそのままの姿で利用することは極めて稀です。(西洋の庭と日本庭園の違い)

日本庭園は、この庭石の材質・配置で庭園の表情が決まると言うほどで、ある時は豪快に、ある時は繊細で穏やかな表情を見せるように作られています。それらが時代を超えて見る人に様々な感動を与えてくれるということは、各時代の作庭家の美的感覚が非常に優れていて、宗教の思想がそこにあったという証でもあるのです。

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