「八坂神社由緒略記」によれば斉明天皇2年(656年)高麗より来朝せる調進副使の伊利之使主が新羅国牛頭山にます素戔鳴尊を山城国愛宕郡八坂郷に祀り、八坂造の姓を賜ったのに始まる。伊利之来朝の事又素戔鳴尊が御子五十猛神と共に新羅国に降り曽戸茂梨(楽浪郡牛頭山)に降りられた事は日本書記に記す所であり、新撰姓氏緑に八坂造は狛国人万留川麻乃意利佐の子孫なりとある記録と考え合せて、ほぼ妥当な創祀と見てよい。 尚この八坂の地は、華頂山の麓帯は今も清水寺、双林、長楽、安養、知恩院等あり、当時霊地として信仰の対象であった事を思えば当社創祀は斉明期以前をも想定し得る。
摂社としては、疾疫祓除の神として蘇民将来を祀る「疫神社」。 大神の荒魂を祀る「悪王子社」。 天照大御神と誓約されたときの大神の御気を祀る「冠者殿社」の3社がある。末社としては事代主神を祀り社殿が重要文化財指定になっている、北向蛭子社。天照大神を祀る大神宮など含め25社がある。 疫神社 悪王子社
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