大神は天照大神の御神勅を奉じて國家建設の基を開かれ國土開拓の大功神であります。故に昔から國民の崇敬非常に篤く、國家鎭護、國運開發の神、民業指導の神、武徳の祖神として廣く仰がれて居ります。御創祀は神武天皇十八年と傅へられ現在の御社殿は元禄十三年の御造營にもとづくものです。明治以降は官幣大社に列せられ毎年四月一四日の例大祭には宮中より御使が参向される勅祭の神社であります。
摂社としては、桃山様式を伝える本殿は、寛文5年(1665年)の造営で県指定文化財である側高神社があり、祭神として「側高大神」を祀っています。末社としては景行天皇40年、日本武尊東征のとき蝦夷征討祈願に鎮座したと伝えられている大戸神社です。祭神は天照大神が「天の岩戸」に隠られた際、戸を開き大神の手を執ってお出しした「天手力男大神あまのたぢからおのみこと」を祀っています。 側高神社 大戸神社
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