□ あなたにとって幸福とはなんですか? □

「十人十色」といわれるように、幸福や不幸に対する考え方は人によりまちまちです。また時代や文化によっても異なります。さらにいえば、「幸せ」は持続的なものとはかぎらず、時代の経過、つまりそれに慣れ親しむことによって「幸せ」とは思わなくなってしまうことが多いのです。こうした変化は民間信仰の一つである七福神信仰のなかにもみられ、この中に、日本人の幸福観がはっきりと見えてくるのです。

□ 時代によって「福」が変わる!? □

かつて「幸せ」とは欲望の基本、つまり生存にかかわる「食料」への欲望を言いました。「山の幸・海の幸」といわれるように、山野や海でとれる食料を意味する「さち」がこれにあたります。「富」とは価値あると思われるものの総称です。神に「良縁」や「無病息災」を祈願するように「健康」とか「愛」とか「情」なども立派な「富」であったが、現代ではその中身は物質的なものに大きく変化し、そうした身体的・精神的状態は「富」とはみなされなくなってきています。



甲冑を身につけ、左手に宝塔、右手に金剛棒を持つ勇ましい姿から、戦闘の神様として信仰を集めていました。盗賊やもののけから守ってもらう、つまり安全保障や治安維持が福や富につながる時代だったのです。今では、学業成就、家門降昌にご利益があるとされています。
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七福神のなかで唯一の日本生まれの神様です。もともと大漁をもたらす神様として漁民に信仰されていましたが、商業の発展とともに、商売繁盛の神様としても、広く信仰されるようになりました。 奈良には海がありませんが、恵比寿様が祀られているお寺があります。そのことは、交易や海上の安全、大漁を「福」と考えた時代から、それが広く市場を司る神として、また、流通や貨幣に対する監視の神様として祀られる様になった流れとしてうかがえます。



七福神で唯一の女神は音楽・蓄財・技芸の神様として信仰を集めてきました。弁才天とも表記されます。それはこの神の授ける「福」を「財産」とみなすか、「才能」とみなすかの違いを反映しています。仏教の教義に由来する「福」とはべつに、知識も「福」であり、豊かさや豊穣の意味を持つと考えられていったことがうかがえます。
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インドから伝わってきた神様です。いかにも福の固まりといった感じですが、ルーツはなんと破壊の神、戦闘の神なのです。そんな大黒天が信仰されるようになったのは、大国主命の大国(だいこく)と大黒の音が通じ合うことから、両者が同一視されるようになったからのようで、天台系諸寺院の台所を介して、民間の家々の台所に浸透するという形で、「家に富(米その他の食料)をもたらす守護神」として商家をはじめとする民家の家々に受容されていきました。



七福神で唯一実在した人物、禅僧・契此(かいし)をモデルにしたといわれています。契此は、大きなお腹をしており、いつも大きな布の袋を持っていました。そして施しを受けたものを袋の中にどんどん入れていたそうです。やがていつのころからか、弥勒菩薩(仏が死んでから56億7000万年たったときに地上に降りて人々を救うといわれる救世主のこと)の化身として人々が信仰するようになったのです。
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中世後期に歓迎された仙人風の福禄寿星の画像が、福禄寿と寿老人の二人に分けて描かれ、福神のなかに入れられたとされています。室町時代末期に禅僧文化の影響を受けて、床掛け(掛け軸)や扇面の題材として仙界・神仙的なものや、滑稽諧謔を好む傾向が強かった。このような経緯があり、福禄寿と寿老人は、長寿・円満・悠々自適の老後の生活を象徴する神仙的な人物として掛け軸の画材に好まれたのです。
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出典:「福の神と貧乏」小松和彦 筑摩書房

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